社会不適合者が社会復帰を目指す

20代中盤まともな職歴なし/コミュ障の社会不適合者が社会復帰を目指して奮闘する記録

ブログ始めました

20代中盤まともな職歴なし、コミュ障や軽い対人恐怖症(自称)ありの引きこもりの社会不適合者ですがなんとか社会復帰を果たしまともな人間になりたいと決心し、その日々を記録するためにブログを始めました。

 

引きこもりになったきっかけ

まず私の現状ですが、26歳未婚実家暮らしで現在はほぼニートです。

決して裕福ではありませんが、至って普通の家庭に生まれ引きこもっている今現在も同居している両親との関係は良好です。

 

私が引きこもり始めたのは高校3年生の時からです。

それまでは少々人見知りが激しく人前で話すのが苦手という程度で多分世の中の普通の人たちと変わらない普通の学生として生活していました。

 

ある日の英語の授業、その日はクラスの前で英語のスピーチをするということになっていました。

人見知りが激しく、人前で話すことが嫌いだった私は当然スピーチの類も苦手でしたが、根が真面目だったためサボるという選択が出来ず、嫌々ながら授業に参加するという選択をしました。

とても些細なことですが、今思えばこの選択が間違っていたのかもしれません。

 

授業が始まり、次々とクラスメイトたちがスピーチを発表し、自分の順番が近づいてくる間私の心臓はずっとバクバクしていて、正直他人のスピーチなど耳に入ってきませんでした。

そしていよいよ自分の番になり私は原稿だけを見てスピーチを読み始めようとしました。

しかし緊張からか声が上手く出せないのです。

静まり返った教室で視線が一斉に自分の方に集まり私は思わず泣き出しそうになるのを必死にこらえ、無理やり声を捻り出したのですが、震えたとても小さな声で読むのが精いっぱいでした。

そんな私を見て英語の先生が「そんな声じゃ聞こえないよ」と言いました。

その発言を聞いてクラスの目立つ存在だった男子生徒が近くの席の男子と「もしかしてあいつ頭おかしい?」というようなことを言い、そして教室のあちこちからクスクスと笑う声が聞こえてきて私の頭の中は完全に真っ白になりました。

その後の事は正直よく覚えていません、どうやってその日の残りを過ごし家まで辿り着いたのかも思い出せません。

 

その日から私は学校を無断で休むようになりました。

 

当然親にも連絡がいき、なぜ学校に行かないのかと問い詰められました。

正直他人に話しても無難にスピーチをしておけば良かっただけの話では?何を甘えたことを言っているのか、あなたが悪いと言われるのが目に見えていたのと、こんなことで学校に行けなくなっている自分が情けなくて恥ずかしくて私は何も言うことが出来ませんでした。

 

何度か学校のカウンセリングも受けましたが、自分への情けなさもあり誰にもこの話は打ち明けることができませんでした。

幸いそれまでそこそこ真面目に登校していたおかげで卒業までの出席日数は足りており、保健室登校をしつつ何とか卒業まではいきつきました。

そして、そのメンタルのまま卒業し就職をするという勇気が出なかったため福祉系の大学に進学することを決めました。

正直それほど福祉に興味があったわけでないのですが、漠然と人手不足の業界ならこんな私でも受け入れてくれるのでは?という安易な考えで進学してしまいました。

今思えばこれは私にとっては今就職する勇気が出ないからとりあえず先延ばしにするだけの逃げの選択でした。

 

この選択も正直間違いだったと今思っています。

 

ここから私は逃げ癖がつき、嫌なことから目をそらし続けた結果現在に至るまで迷走し続けるのですが長くなってしまったので今日はここまでにします。

大学生以降の話はまた次の記事で書きたいと思います。